日常は壊れやすい

 

 

 

 

 

 

日常というのはいつだって突然壊れたり、狂ったりする。

 

 

いつの時代でも、安心や安全は誰かが保障してくれるものではない。

 

 

多くの日本人がそのことを六年前に思い知らされた。

 

 

 

避難や物品の備えはもちろんだが、

 

 

最悪のことは明日にもその日のうちにも起こりうる、

 

 

という心の備え、想像力、

 

 

そして生きるものとしての五感、直感こそが大切である。

 

 

 

災害でなくても、日常はいつだって壊れるんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かっとした初夏。

 

 

恋人と海に出かけたときの話である。

 

 

 

 

夏は海水浴客でよく賑わう海だったが、その日は平日だったためか、

 

 

海岸には私たちの他に人影はなかった。

 

 

 

私は静かな海が好きなので、貸切だ、とその時は幸運にさえ思った。

 

 

 

 

「すこし沖合に出てみましょうか」

 

 

 

「そうですね、気持ちが良さそう」

 

 

 

波はおだやかだったが、南風はやや強かった。

 

 

私はすこしこの風に違和感を感じたが、

 

 

水平線もひどくのんびりして映ったので

 

 

衣服を脱いで

 

 

彼女と、ひとつの浮き輪を頼りに、沖に出ることにした。

 

 

 

 

 

 

海の真ん中にふたつの頭を浮かせて

 

 

青空に通り抜ける一筋の飛行機雲、

 

 

むこうに見える島影を見て、たそがれていた。

 

 

心地よかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と突然、私たちは激しい水圧にからだを押された。

 

 

顔に大量の水しぶきがかかる。

 

 

 

おおきな波に巻き込まれたのだ。

 

 

そのせいで頼りだった浮き輪を手離してしまい、

 

 

私たちは足先すら届かない深い海の上に取り残された。

 

 

 

 

追いかけようとしたが浮き輪は、

 

 

みるみるうちに遠くに流されてしまった。

 

 

 

 

 

 

彼女と目を合わせた。

 

サーっと血の気が引いて、海水が急に冷たく感じた。

 

 

 

 

まずい、と思った矢先、

 

 

彼女が海の底に向かって沈んでいくのがわかった。動揺した。

 

 

 

衣服を置いていた浜辺の位置を確認したが、かなり距離がある。

 

 

浜には人影もない、船も出ていないので、大声を出しても無駄だ。助けはない。

 

 

 

私がなんとかするしかない、と

 

 

海に潜って、彼女のからだを下から持ち上げた。それでも、息をしようと海面に顔を出す、彼女の上から波が覆って邪魔をした。

 

 

それはさきほどまでの穏やかな海とは別ものだった。

 

 

私は海水を蹴って、彼女をさらに上へと担いだ。

 

 

 

 

 

しだいに私も息が苦しくなってきた。

 

 

 

 

 

ふと彼女の親御さんの顔が浮かんだ。

 

 

私はここで死んでもいいから、この人は助けようと思った。

 

 

 

呼吸はますます押しつぶされていく。体力的にも疲れてきた。

 

 

 

 

 

そういえば私は両親に恩を仇で返してばかりだったことを思い出した。

 

 

次いで、家と故郷の風景もよみがえった。

 

 

弟や妹にまだ教えたいこともたくさんあった。

 

 

 

 

死に際の人間は、誰でもこうなるのかナ。

 

 

 

 

それでも私のことはいいから、と耐え続けた。

 

 

 

意識が曖昧になってきた。そろそろ息をしたかったが、もうやけだったと思う。

 

 

 

 

 

 

 

「たすけて、たすけて」

 

 

 

私が冷静になれたのは、ざわざわという海中の奥のほうで、か細い彼女の声を聞いたからだった。

 

 

 

ダメだ、私が死んで、もし彼女が助かったとしても

 

 

後の人生、彼女にさまざまなことを考えさせることになる。

 

 

 

 

 

私は水面にあがり、

 

 

彼女を手引きしながら、

 

 

浜辺に向かって必死に泳いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私たちが助かったのは、もはや奇跡と言えた。

 

 

幸いにも彼女が暴れなかったことが唯一の救いになった。

 

 

 

 

もし正面から相手にしがみつかれてたら、

 

 

たとえ泳ぎが達者で、用意周到な人でも死んでしまっていただろう。

 

 

 

 

もし彼女が暴れるようなことがあれば、

 

 

殴って気絶させてから、

 

 

抱えて泳ぐことまで想定できたかというと

 

 

私にはできていなかった。

 

 

 

 

 

海の表情は変わり易いにもかかわらず、

 

 

沖合いへと出てしまった、

 

 

私の想像力と、違和感を感じるような直感的なものも欠けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

人は生まれ出てたちまち死ぬようにはできていない。

 

 

何とか自分の目で見て、感じて、危険を乗り越えて生きようとする。

 

 

それこそが原始から人類に与えられている直感というもので、

 

 

生きものとして、何からの勘をいかに働かせるか、

 

 

磨いていくか、

 

 

それが人生のあり方を決めていくと思う。

 

 

 

 

今日はやけに飛んでいる鳥が少ないな、とか

 

 

確か、前にもこれと同じ状況があって、そのときはまずいことが起きた、とか

 

 

おや、これは見慣れない情景だ、とか

 

 

 

学問的な解釈ではなくて、

 

 

本能に近い部分にある直感のようなものを

 

 

 

私たちは大切にすべきであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私と彼女は、浜辺にぐったりと寝転んで

 

 

どうにか息を整えながら、

 

 

高い空を見つめていた。

 

 

 

さきほどまですーっと通り抜けていた

 

 

一本筋の飛行機雲が、歪み始めていた。

 

 

 

 

日常も雲のように

 

 

壊れやすいことを思い知らされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメントを残す