生きる意味

 

 

近所の公園で、

 

夏には半そでだった子どもたちが

 

 

長袖を捲り上げて走っている。

 

 

陽が落ちるのも幾分 早くなった。

 

 

 

日暮れになると、

 

この前まではなかった肌寒さまで感じる。

 

 

 

夏がまた終わる。

 

人はさまざまなことで悩んだり、

 

失望したり、

 

場合によっては死んでしまおうかと考えたりする。

 

 

 

世間ではなにやら、平成最後の夏、だとか騒いどるが

 

今年はそういう節目もあり、

 

普段と違って余計なわずらわしさが

 

むこうからやってくるのだろう。

 

 

 

 

若者というものは、

 

かれら自身こそ春なのだから、

 

季節などには目もくれないでいるべきだと思うが。

 

 

 

 

 

ある程度 生きていると、

 

ーーーなぜこうなってしまったんだ。

 

ーーーなぜ自分だけがこんな目に遭うんだ。

 

とややこしいことが起こり、

 

 

果ては、

 

ーーー生きる意味って何なんだ?

 

ーーー死んでしまおうか。

 

と口にしてしまう人たちもいる。

 

 

私からすれば、

 

生きる意味なんぞ、暇な哲学者か誰かが考えればいいし、

 

そもそも何のために生きているかわからないから

 

生きていられるものなんだ。

 

 

胃痛のときにはじめて胃の存在が意識されると同様に、

 

日々の暮らしの意味なんてものは、

 

しっかり動いてりゃ存在を意識されるはずのものではない。

 

みんな、暇すぎるんだ。

 

 

人はそれぞれ事情を抱えながら

 

皆何とか格好を整えて暮らして行っている。

 

哀しみにもやがて終わりがくる。

 

 

 

眠気覚ましのコーヒーが温かくなった。

 

秋が始まる。

 

 

すこしは公園で鼻垂らしながら走り回る子ども達を見習わないとナ。

 

 

 

 

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