親孝行

 

 

 

 

「あの頃のあなたに謝りたい。できることならそうしてあげたい」

 

 

母は、酒を呑んで酔った折に

 

十数年前、子どもの私にしたことを謝りたい

 

と涙ながら口にすることがある。

 

 

それは、十数年前に

 

父が仕事の都合で、長らく家をあけることになり、

 

母が女手ひとつで四人の子どもを育てることになったときだった。

 

 

 

四人兄弟の長男坊であった少年の私が

 

突如、家長になり家の様子が一変した。

 

それまで優しかったはずの母、

 

私が父に叱られてもいつも味方をしてくれていた母が

 

「あなたはお兄ちゃんなんだから」

 

「しっかりしなさい」

 

 

が、口癖になり

 

躾もずいぶん厳しくなった。

 

 

少年は毎日叩かれながら育てられた。

 

 

 

正直、私は戸惑った。

 

戸惑いはやがて反発心に変わり

 

息子と母の関係は悪くなっていくばかりであった。

 

 

いつも怒った顔をしている遠い日の母の姿が記憶にあるし

 

私も何かにつけ、目を釣り上げながらずっと怒っていた。

 

 

食卓に並べられたご飯を

 

何に気に食わなかったのか、テーブルごとひっくり返した。

 

 

怒鳴れると、出刃包丁を手に持ち

母に向かっていった。

 

時にはベランダに立ち、身投げをしてやる、と嘯(うそぶ)いた。

 

とにかく暮らしは荒んでいた。

 

 

 

「いってらっしゃい」

 

と見送る母に、何を応じることもせず背を向けたまま少年は家を出た。

 

朝、家を出ても、学校に行く訳じゃなかった。

 

ーーー行ったって、廊下に立たされるだけなんだ。

 

 

夕方まで時間が過ぎるのを待とう、と街をふらついた。

 

大半は、学校から母に連絡があり

 

母は仕事の合間に、私を捜した。

 

 

 

ある日、

 

夜半に小水をしたくなり、目覚めると

 

母のすすり泣く姿が目に入った。

 

疲労困憊している体がやけに小さくみえた。

 

 

 

私はあわてて力強く目をつぶりなおした。

 

すると、母が寝ついた子どもたちに順にかけ布団をかけて

 

最後に優しく頭を撫でていた。

 

 

私は布団の中で声を押し殺して泣いた。

 

 

 

 

 

今思えば

 

朝から晩まで仕事をしながら

 

四人の子どもを育て上げる苦労は計り知れないし

 

ましてや一等 手のかかるの子が長(おさ)である。

 

申し訳なく思うのは私のほうだ。

 

 

 

「謝るのはボクのほうです。ずっと親不孝者で申し訳なかった」

 

「ほんとうの親不孝は、親より先に死ぬことよ。いつまでも健康なからだでいてください」

 

 

 

親の子に対する愛情ほど、強くて尊厳のあるものは他にない。

 

ところが親の愛などいつも身にしみて感じていなかったし、

 

むしろその愛情が鬱陶しく思うことは誰にでもある。

 

 

愛も、苦言も、これまでの教育も

 

親と同じくらいの歳になって

 

ようやく気づくことばかりなのであろう。

 

 

 

 

 

そもそも、この記事を書こう、と思ったのも

 

先日、友人が母を亡くし、改めて母親の存在を考えなおすことがあったからだ。

 

 

「おかしいよナ、母ちゃんは死んだはずなんだけどな。ずっと傍らで見守ってくれてる気がするんだ」

 

とグラスを傾ける友人の表情は、

 

笑っているようで、やはり笑っていなかった。

 

 

 

 

親から受けた恩は、

 

すべてを返せないのが世の中の常らしい。

 

親孝行は、大半はそれができずに、あとで悔やむ。

 

 

悔やんだとき、もう親はいない。

 

その繰り返しが世間である。

 

では親が生きているうちに

 

子ができる限りすべきことはなんなのか。

 

 

 

私は、年に一度でいいから年末にでも

 

自分の姿を見せに実家に帰れば、まずはそれでイイと思っている。

 

 

この世の中で

 

自分の命を捧げても守ってくれるのは親だけである。

 

 

その親なら、子の姿を見ただけで

 

憂いや心配事があれば一目でわかる。

 

生家の玄関に立って

 

頭の先から足下まで親に見せろ。

 

 

それだけのことだが、

 

それが十分に子どものすべきことではないだろうか。

 

 

 

 

私は上京する折、母に告げた。

 

「本物になって帰ってくるよ。必ず母さんを楽にさせます」

 

本気で決意したことだった。

 

しかし、母は首を横に振った。

 

 

「体調に気をつけてやってくれればそれだけでいいのよ。無理だと思ったらいつでも帰ってきていいけんね」

 

 

ーーーはあ、いつまで経っても、親と子なんだナ。

 

 

「いってらっしゃい」

 

 

母は手を振った。

 

私は母と向き合って、深々と頭を下げた。

 

 

 

 

「では、いってきます」

 

 

 

 

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