余計なお世話だ

 

 

 

 

長い間、ニューヨークに滞在していた。

 

 

決まった予定はほんの僅かだったので

 

自由で、解放的で、

 

まるで夢のような時間だった。

 

 

 

羽田空港から出発。

 

日付変更線をまたいで、

 

ニューヨークには夕刻に着いた。

 

 

マンハッタンの宿にチェックインし、

 

部屋に荷物を置いてさっそくホテル近くのバーへ行った。

 

慣れない土地を知るには酒場へ行くことと

女にふれることであると私は信じている。

 

カウンターで1人酒を飲みはじめるとバーテンダーの男が言った。

 

 

「チャイニーズかい」 

 

「いや、日本人だ」

 

「深夜はなにかと物騒だから気をつけてくださいな。とくにアジア人は狙われる」

 

 

ーーーなにが、アジア人は狙われる、だ。

 

聴き取りやすい喋りだったが、

 

こちらは、余計なお世話だ、の英語が口から出てこず、

黙ってウイスキーを呷(あお)った。

 

 

 

翌朝、

 

中判カメラを肩に担ぎ、

 

予備のフィルムを数本ポケットに仕舞って宿を出た。

 

 

 

晴天を仰いで、

よしマンハッタンから、ブルックリンまで歩こうと思った。

 

地下鉄、バスも現地にはもちろんあるが

 

まるで日本とは違う風景、

 

こころを動かす風土の目新しさは、旅人を歩かせる。

 

 

セントラルパーク沿いの路地で出店を見つけた。

 

パンの焦げる香りで、腹が鳴った。

 

朝食はまだだった。

 

「ホットドッグと、水をくれ」

 

煙草をくゆらせる店主に注文した。

 

「ホットドッグのソーセージは、大きいのと小さいの、どっちがよろしいですか」

 

「大きいほうは、いくらだ」

 

店主は値段の問いに答えず、手早くホットドッグをつくって私に差し出した。

 

 

「10ドルだ」

 

「待て、ホットドッグと、水だけで10ドルもするわけないだろう。それなら要らない」

 

「ダメだ、もうつくってしまった。払ってくれないと困るね」

 

 

ーーーやられた。

 

これから海外に行く人は気をつけていただきたい。

 

何か品物を買う前に

 

ハウマッチ、この一言だけでいいから口に出すべきだ。

 

私も、相手が答えないなら、すぐに立ち去ればよかった。

 

 

 

 

私は相手を睨んで10ドル紙幣を放り投げた。

 

そんなホットドッグが美味いはずもなく、

 

水で怒りとともに流し込んだ。

 

 

 

 

 

かなり歩いた。

目に飛び込んでくる風景を見つけると、立ち止まり、写真を撮って、また歩みだす。

 

とても疲弊したが、おかげで街を知れた。

 

何より嬉しかったのが、

ニューヨーカーが私のカメラに興味を持ってくれたことだった。

 

私が肩にかけた黒塗りの大きな中判カメラはかなり目立った。

 

「いいカメラだ。美しい」

と何人ものニューヨーカーに声をかけられた。

 

 

「そのカメラでわたしを撮ってくれない?」

 

と美女から声をかけられたときは思わず

 

ありがとう、とカメラを優しく撫でた。

 

(写真を撮って、チップを要求されることもなかった)

 

 

 

 

ブルックリン橋を渡り、ダンボという街をうろついた。

 

ここは人気が少なく落ち着いた街の印象だった。

 

時間はある、

このままジャマイカ湾のほうまで歩いてみたら何かイイものに出逢えるだろうか、とか考えていた。

 

 

すると、すれ違いざまに体の大きな黒人とぶつかった。

 

考え事をしていた、こちらの不注意だった。

 

カシャン、と音がした。

 

私と接触したせいで、

 

黒人は手に持っていた眼鏡を落としていた。

 

 

拾い上げたときに、眼鏡が割れているのに気づいた。

 

私が謝る前に、黒人は怒りだした。

 

何を言っているのかわからなかったが、

よほど大切にしていたモノだったんだろう、と申し訳なく思った。

 

 

きっと何か悪いことでもして得たのだろう、

 

私はいささか金を持ち合わせていた。

 

 

弁償代を、とポケットに手をやると、

黒人の口元が一瞬 歪んだようにみえた。

 

そのとき思った。

 

 

ーーーなんで、こいつ眼鏡をかけないで手に持っていたんだ?

 

 

ポケットから手を離す。

 

私の手に金は握られていない。

 

ふたたび黒人は、割れた眼鏡を指差して、罵声に似た言葉を発した。

 

 

「金を払え」との言葉がかろうじて聴き取れた。

 

ーーーなるほど、そういうことか。

 

 

私はなるべく冷静につとめて

 

「あいにく金がない、ATMに行っていいか」と訊いた。

 

相手はすこし考えて、頷いた。

 

 

坂を下った先に、スーパーが見える。

 

私は店にむかって歩きだした。

 

背後で、黒人がちゃんとついてきているのが分かった。

 

 

私は肩にかけていた中判カメラを、両手で抱えるようにした。

 

そして坂を下りきって、角を曲がった瞬間、

 

私は走りだした。

滑稽なラガーマンのようだった。

 

 

後ろで黒人の叫び声が聞こえたが

 

おかまいなしに走り続けた。

 

 

ダンボは建物が密集していて、

入り組んだ街造りだった。

 

角を右に曲がって、次は、左に曲がって

 

どうにか撒こうとおもったが

 

相手も執拗に追いかけてきた。

 

 

私がなんとか逃げきれたのは

 

偶然、停車していたパトカー見かけ、

 

警官に助けを求めたからだった。

 

 

振り返ると黒人は、踵を返して去っていった。

 

 

 

 

ーーーやはり、そうだったか。

 

 

 

眼鏡は最初から割れていて、

あたかもこちらがぶつかってしまったような構図をつくり

恐喝をする巧妙な手口だ。

 

 

まったく、つまらん輩である。

 

 

宿に戻り、調べてみるとやはり、

 

今ニューヨークで蔓延している恐喝の手口であることがわかった。

 

″メガネ詐欺″と呼ぶらしい。

 

 

ニューヨーク市警察本部によれば,

 

観光客を狙った同種の手口が多発しており、

 

とくにアジア系観光客が

多く狙われている傾向がある、と書かれてある。

 

 

 

「気をつけてください。とくにアジア人は狙われる」

と忠告してくれたバーテンダーに

うまく返せなかった『余計なお世話だ』の英訳を調べてみた。

 

 

「Mind your own business」

 

というらしいが、

こんな言葉、大人の男が使うもんじゃないナ、と反省した。

 

 

 

 

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