鮨屋のぬくもり

 

 

 

鎌倉を訪ねた。

 

都内からは車で1時間半ほどである。

 

すこし遠出になったが

 

前からどうしても訪ねてみたい鮨屋が鎌倉にあった。

 

 

後輩の女の子を連れて、

 

鎌倉市には昼下がりに入った。

 

 

車窓のむこうから、逗子の海のかおりがする。

 

鎌倉は、初めて来た観光客にも

 

どこか懐かしさを感じさせる、不思議な面がある。

 

 

人もあたたかい。

 

この街を、キライだ、という人は居ないんじゃないか。

 

 

 

 

由比ガ浜通りにその鮨屋はあった。

 

想像より、店構えはちいさく

 

表の鮨の値段を見て

 

持ち金を一度確かめてから木戸を開けた。

 

 

カウンターに小上がりがある、

小ぢんまりした店で

 

小上がり席では、一組の家族が鮨を囲んでいた。

 

 

喪服姿だったので、そういう会食だったかもしれない。

 

 

「いらっしゃい」

 

カウンターのむこうに大将が立っていた。

 

「遅くに申し訳ない。まだ間に合うなら、一、二貫ほどでいいので握っていただきたいのですが」

 

昼下がりで、ランチの時間帯などとうに越えていた。

 

しかし大将は、慈愛のある笑みで

 

「問題ございませんよ、一、二貫とは言わずに。ささ、お座りください」

 

と快くカウンターに通してくださった。

 

 

 

ネタは大将のおまかせで、握ってもらうことにした。

 

「一杯つけましょうか」

 

「そうしたいのですが、車で来てしまって」

 

「そうですか、普段お酒は飲まれるでしょう」

 

「もちろんです」

 

「それは、残念ですな」

 

大将は、ニヤッと白い歯を見せたあと、

スッと職人の表情に戻り、まな板に視線を落とした。

 

 

私は、

 

鮨職人の、一連の動き

 

手の所作にいつも見惚れてしまう。

 

 

鮨は、大将との会話があってこそ鮨であり、

 

また、会話がないのも、鮨である。

 

味の善し悪しなどは

 

青二才の舌にわかる訳がないが

 

何年も汗水垂らして修行をし、苦しいことを乗り越えてきた大将の

 

ぬくもりを口にしているんだと思うと、

 

やはりどれも美味である。

 

 

腹のなかで、ありがたいナ、と思いながら黙って食べていた。

 

 

お近くですか、と訊かれた。

 

「いえ、僕は都内から、彼女は九州の福岡からです」

 

「ほう、わざわざ遠くから、どうしてうちへ」

 

 

私がこの鮨屋にどうしても訪れたかった理由は

 

今、私の生きる姿勢、かたちの模範となっている

 

大変尊敬している方の行きつけの店が、こちらの鮨屋であったからだ。

 

 

その方が当時、若かりし頃

 

偶然こちらの鮨屋の前を通り

 

ひとりで入って酒と肴をやったのがキッカケで

 

それから店とは、十年以上の付き合いになったということを知った。

 

社会を失格し、家庭をこわし、ギャンブルで借金だらけだったのに

 

海のものとも山のものともつかぬ自分に

 

家族のように親しんでくれた、恩人だ、

 

と先生は慕っていた。

 

 

私はそんなお店に、大将に会いに、どうしても来てみたかった。

 

 

その旨を、大将に伝えると

 

「そうですかそうですか」

 

と手を叩いて喜んでいらした。

 

 

「アニキは、ある日の夜にひとりでフラッと来られて、それから毎日通ってくださいましたよ」

 

「毎日ですか」

 

「はい、顔を出さない日はなかったですね。来られない日はずいぶん心配するものですが、店仕舞いの前には必ず来られる。ホッとします」

 

「当時は逗子に住まれてたんですよね。それにしても毎日欠かさず、というのは知らなかったいやはや流石ですナ」

 

「毎日毎日来られても、鬱陶しさみたいなものが全くないんです。それがあの人の人柄ですね、魅力的な方です。営業が終わって、うちのカミさんも交えて、明け方まで飲み歩くのが日課でした」

 

 

ーーーああ、イイナ。

 

そんな趣のある話を聞けただけで、来てよかったと思えた。

 

 

カウンター席からうしろを振り返ると

 

小上がり席の高所に、額に入れた一枚の筆書きが見えた。

 

 

「もしかして、あの書は」

 

「そう、アニキに、無理を承知で一筆お願いしたものです」

 

 

力強い字体であった。

 

「若い頃のですか」

 

「ええ、たしか二十年ほど前のものですので」

 

じっと見つめていると

 

文字のひとつひとつから

 

逆上に似た怒りのようなものを感じとれた。

 

 

私は少しばかり先生の若い頃の事情を知っていたので、

 

青年が筆をとる当時の情景が想像で浮かんだ。

 

私は涙がこぼれそうなことに気づいて

 

ハッとなった。

 

 

後輩の女の子の前で、あぶなかった。

 

彼女はしあわせそうにお鮨を頬張っていた。

 

 

 

最後にいただいたアガリを傾けていると、

 

ひと仕事終えた大将と目が合った。

 

 

「お客さんもしかして」

 

「はい?」

 

「役者さんかなにかですか」

 

「え?」

 

私と後輩は目を合わせた。

 

 

「シュッとされてるので入ってきた時から、俳優さんかナと思っておりました」

 

 

後輩の女の子がクスリと笑った。

 

彼女こそモデル業を健気に頑張っている人で、

 

私のほうは不細工の権化みたいな容姿である。

 

 

「勘弁してください。連れに笑われてます、大将」

 

「これはこれは大変失礼しました」

 

「ハハハ」

 

 

店を出ようとするとき、大将から

 

「今度はぜひ夜にお越しくださいね」

 

と声をかけられた。

 

「一緒に酒をたらふく飲みましょう」

 

「は、はい」

 

 

お愛想でもそんなふうに言ってもらえたことが嬉しかった。

 

私は礼を伝えて、店をあとにした。

 

 

ーーー来てよかった、ほんとうに。

 

 

 

その時間は

 

私にとって至福のひとときであった。

 

帰る場所が、またひとつ出来た気がした。

 

 

 

「とても美味しかったです。私、おすしは回転寿司でしか食べたことなくて」

 

後輩が笑って言った。

 

「回転寿司は鮨屋じゃないらしいよ」

 

「え?じゃあ何ですか」

 

「遊園地とか、学校の給食とかと一緒なんだってさ」

 

彼女はキョトンとしていた。

 

 

 

次は電車に揺られながら来よう。

 

夜の鎌倉に、ホンモノのお鮨を食べに。

 

 

 

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